1985-11-20 第103回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第2号
従来、久慶門、歓金門それから城壁等整備をしてきたわけでございますが、いよいよ首里城正殿をどうするか、こういう話になってきたわけでございます。そこでいろいろ検討し御相談いたしました結果、国営公園として整備をさせていただくのが一番よろしいだろうということで、六十一年度予算でその調査費を要求させていただいておるところでございます。
従来、久慶門、歓金門それから城壁等整備をしてきたわけでございますが、いよいよ首里城正殿をどうするか、こういう話になってきたわけでございます。そこでいろいろ検討し御相談いたしました結果、国営公園として整備をさせていただくのが一番よろしいだろうということで、六十一年度予算でその調査費を要求させていただいておるところでございます。
○関(通)政府委員 首里城につきましては、先生御案内のとおり復帰後これまで歓会門及び歓会門久慶門接続石垣、さらに久慶門の復元整備を行ってまいりまして、これらの円あるいは石垣はほぼ復元が完成いたしておりますし、また五十九年度からは、四カ年計画で歓金門と久慶門の内郭を復元整備することとしてその事業を今継続しているところでございます。
○藤田説明員 先生御案内のとおり、現在の琉球大学跡地には、先ほどからお話に出ていますように、校舎その他が建っておりまして、現在工事が可能なところは先ほど申し上げました歓会門と久慶門の内側の内郭でございますので、さしあたってこれにつきまして四カ年の計画で復元を図りたいというのが現在の開発庁の考え方でございます。
○玉城分科員 それで、沖縄開発庁が窓口になって、補助金を出して今お話しのあった久慶門とか歓会門をつくっていらっしゃるわけですが、その経過、現状、開発庁とされて今後どうするのかをお伺いします。
○藤田説明員 さきの大戦におきまして焼失をいたしました首里城の復元整備の経過でございますが、復帰いたしました四十七年、四十八年の両年度で、先ほど文化庁の次長からお話がございましたが、歓会門ができ上がりまして、引き続きまして四十九年と五十年の両年度で歓会門・久慶門接続石垣、それから五十一年から本年度まで久慶門を復元するための事業を実施してまいっておりまして、来年度につきましては現在工事が可能な歓会門と
戦災文化財の沖縄におきます復元事業につきましては、先生御案内のように、首里城の歓会門とその接続石垣につきましてはすでに完成させておるわけでございまして、現在それに続きまして久慶門の復元工事を進めているところでございます。したがって、私どもといたしましては当面、久慶門の復元整備に全力を挙げていきたい、このように考えておるところでございます。
今日いま久慶門というのをやっている、久慶門は国宝じゃなかったのですけれども。それから白銀門というのは昔の国宝だった。それから首里城の正殿、つまり本丸ですね、これは国宝だったんですよ。それで沖繩の第二次振興計画の中に、沖繩県知事は、やはり昔はこういうりっぱな国宝に相当するような建築物を沖繩の連中がつくったのだというその姿を再現したいと、こういうふうに向こうで言っておるわけですね。
本年度予算の編成にあたりまして、この沖繩の場合におきましては、特に重要な首里城の正殿とか周辺の歓会門、久慶門等の復元につきましては、先生御指摘のようなその文化的な意義にかんがみまして、これを文部省のほうの予算として要求をいたしたわけでございます。